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名取熊野神社の元宮

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写真1枚目と2枚目は、岩沼市三色吉のゴルフ練習場わきの熊野神社、3枚目は金蛇水神社です。


ご存知のとおり、東北には蝦夷征伐という黒歴史があります(^^;)m
その蝦夷征伐に一役買ったのが、熊野神社でしたm(_ _)m

その理由は、こちらのリンク先を見て頂けるとよく分かります。
http://www.k-shokai.co.jp/company/image/contribute055.pdf


718年、多賀城の鎮守府将軍大野東人(おおのあずまんと)の『蝦夷征伐には熊野の神様の力が必要』との要請を受け、元正天皇が熊野三党の一人、鈴木左衛門尉穂積重義(すずきさえもんいほつみしげよし)に命じ、大船団をもって紀州熊野の神様を宮城県気仙沼市唐桑町に送り込んでいます。

到着地付近には、ゞ判声辧↓∪タツ塗運声辧↓7野神社───の3社が建てられていますね。

分祀された熊野の神様については、最終的には神様の意向により岩手側に入った山中に室根神社として納まり、東北の熊野神社の代表みたいになっています。

紀州熊野那智神社の滝神様だった瀬織津姫については、紀州からは追放されたような格好になっています。


たくさんの方々が指摘されていますが、瀬織津姫は、元の天照神である天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと)の奥さんという立場だったらしく、夫婦天皇である天武天皇(673~686年)や、持統天皇(686~697年)には大変に都合の悪い存在だったようです。
因みに、天武天皇や持統天皇には天照大神創作疑惑なるものが指摘されています。


その影響で、各地にある瀬織津姫神社は、歴史の流れの中で潰されたり、名前を変えられてきたのがほとんどです。
唐桑町のものは元正天皇の命令の下にできたものだからと思いますが、もともとの名前のまま残った大変珍しい事例となっています。


というわけで(^^;)、多賀城のある宮城県には、紀州熊野以外は唯一熊野三社が揃った大変珍しい熊野神社があります。

1123年に名取老女という方が関係してこの形になったのですが、元々の原型は岩沼市三色吉という所にあった熊野神社が、1108年に霊鳥の導きにより名取市熊野堂という所に移ってきたのがきっかけです。
だからなのか、現地には飛鳥という地名が残っていますね。


岩沼市三色吉の熊野神社については、ゴルフ練習場の入口の脇に小さなお宮の形で残っています。

面白いのはこの熊野神社の位置なのですが、西方250m位の所に金蛇水神社があります。
御祭神は、水速女之命(みずはやめのみこと)様といい、創建は989年だそうです。
詳しくは分からないそうですが、実はそれ以前からお宮があったらしいです。

というわけで、千年前から200~300m位しか離れていないところに、熊野神社と水速女之命様の神社があったということになります。


水速女之命様と称してはいますが、これ、どう見ても瀬織津姫様でバレバレですねm(_ _)m
元々は、唐桑町や、出身地の紀州熊野那智神社のように、瀬織津姫様の飛瀧神社と熊野神社が並んでいるようなスタイルを取っていたのでしょう。

地元では、未だ誰もそのことに気づかないというのが大変不思議なのですが..(^o^;)。。


源頼朝が恐れた当時最高の政治家の一人、藤原秀衡(1122~1178年)は、その名取熊野三社の一つ、熊野那智神社のある場所で育ち、隣接地に高舘城を築城しています。
(秀衡の母は、安倍宗任の娘という話があります。また、安倍宗任の子孫が安倍首相なのだそうです。)

名取熊野那智神社にも飛瀧神社があり、719年頃から羽黒飛瀧ノ神として存在しておられますが、表面上はお不動様が祀られています。
秀衡には、白山信仰(菊理媛尊信仰で瀬織津姫と同一視する場合も)があったそうで、当然ながらこれらのことを知っていたのでしょうね(^_^;)m

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